松島や ああ松島や Kill ‘em all / SDJ / Cities.009

人生初の一人旅が仙台だったので思い入れがあり、たまに仙台に足を運んでいる。
直近だと、2011年、2012年にそれぞれ一回。
2011年に仙台に行った際は、松島の海岸沿いが破壊されていた。

2012年に同じ場所を見に行ったら、震災の記憶を残すためか、わざと傷跡を残しつつ、安全なように補強されていた。

仙台でもやることが無くて、早朝に青葉城まで歩いて夜明けを眺めたりしてる。中学生の頃から…

景観スポットでだらだらしていたら地震がきた。

松島で外国人観光客をよく見かけるし、彼らはすごく勉強してきてる。
「伊達家の跡継ぎ決めるとき揉めて全員ぶっ殺したりしたんだよね?」とか聞かれても俺にはわからないが、ダースベイダーのデザインが正宗の鎧からきてたりするし、外人は大好きっぽい。外国人の観光には交通が不便だし日本語読めないと動き辛いのが残念。
※このとき外人勢に解説したのが、
モリスさんだと後で知った
アジア各地まで行って乗り換える前提なら、仙台空港も悪くない。

LCCが就航しつつあるので、国内でもそれなりに接続性がある。
東北各地とか北海道を周遊する感じで日本観光のハブにしちゃえばものすごく発展すると思うので、どうにかLCCのハブ空港を併設して欲しい。

早朝六時に無駄に散歩。東北大学はいいロケーションにあるからうらやましい。
東京の狭くてごちゃごちゃした大学に比べ、本当に色々捗りそうだ。

国内の地方都市に行くと、現地で着る服とかを買いにまずドンキホーテを検索して行く。
そうすることで、現地の繁華街周辺を知ることが出来るし、周辺を歩くことで景気を感じられる。仙台は復興バブルがすごいと聞いていたけど、ドンキ周辺のそういう店に行く人でごった返してた。





仙台でもやることが無くて散歩して水辺。
自然を利用して高台に城を設置した昔の人のセンスのよさ。

松島に毎回行っても散歩とパソコン。シンガポールの人とチャットしててこの写真送ったら爆笑された感じ。

今日は元旦。
正月の朝起きて、例によってやることが無かったので、なんとなく成田に行き適当なフライトを捕まえ、機内からこれを書いている。機内のwifiでインターネットが利用可能なので、普通に各地の友人と年始の挨拶を交わしている。「2013年なのにまだ世界が滅びて無いじゃないか!責任をとれ!!」「おkー」とか、「今からメシくわね?」「ロシア上空なんだけど何食う?」みたいな感じで。
とりあえずバルセロナ向かうけど、多分すぐ飽きてまた毎日違う都市をふらふらするものと思われる。昨年同じフローでロンドンとかベルリンの用事を済ませに出かけた際、バルセロナとかミラノ、ヴェネツィアにも行ったのはその辺が理由だ。で、その際に誰かタイミングが合えば、また現地で働く友人と茶を飲みに出かけてみたいと思っている。俺には全く興味のない業界で働く人たちの動き方を見ているととても参考になり、世界各地でそいつらに会いに行ったりしている。
特に宝石屋の動き方を見ているのが好きだ。彼らの扱う商品には全く興味がないけれど。
宝石…個人的にはああいったキラキラしたものに興味は無い。自分でモノを買うときはだいたい実用本位なので、用途とか耐久性とか使い勝手を基準に必要なものを買うだけで、ブランド品とか貴金属を欲しいなと思ったことはこれまでに一度も無い。だけど、歴史的にも人類の誕生からこっち、世界のほぼすべての地域で、それらを欲しがる人たちがいるので、そのために予算が割かれて人類の知恵が進化して道具が発達し、その結果、現在の世界は大量のキラキラしたもので形作られている。
そういった文脈で、お店で売っているモノには割と興味が無い場合が多いので、余計な買い物はしない。あらゆる都市でお土産も買わないし、ランドマークとか史跡にも立ち寄らない。それが手のひらにのるサイズであれ、巨大な建築物であれ、キラキラしているものには興味が無いのだ。
昨年二回行ったバルセロナでもガウディ建築には一切立ち寄らなかった(付近のスタバで仕事したりはしたが)。マレーシアに数ヶ月住んでたのに例のツインタワーにのぼってもいない。でもたまたま誰かを待ってるときにヒマだったから時間をつぶすために立ち寄ることはあって、ミラノで友人を待っているときに大聖堂に入ったりタイで友人と晩飯を食うまでヒマだったからアユタヤに行ったりとかはした。香港でも友人待ちの暇つぶしに100万ドルの夜景を見に行った。(で結局山頂のバーガーキングでパソコン開いて作業してた)
ミラノやタイや香港や、過去にはアメリカとかでも、そんな風に各地の友人を待ちながら暇を持て余して大して興味の無い観光地に寄ったりしたが、待っていた相手はそれぞれ宝石を商売にしている同世代の奴らだ。彼らはだいたい、自分+家族の小規模な会社をまわしており、扱うモノは貴金属で産出国とか加工職人のいる国とか売る国を選ぶことにより、コスト格差やあとなんかいろんなアレで大もうけできたりできなかったりする商売。リスクと隣り合わせだけど数字に即反映されるし達成感もあるように思え、それに関わる彼らの動き方をたまに各地で見に行くと、彼らのチャレンジや葛藤をかいま見ることができ、自分にもいい影響があったり発見があったりして、宝石自体には全く興味はないけれど、ここ10年くらい機会があれば訪ねて行き、「なんでお前こんなところにきてるの。。。俺は商売できてるけどお前はなんなの。。」「や、なんかお茶でもと思って」みたいなやり取りをしてたびたび不審がられている。
ここしばらく俺が各地をふらふらしていた理由は、主に「東京に飽きたから住むべき街をさがしたいな」というモノだった。
それを開始したタイミングとしては明確なきっかけがあって、上京数年で東京に飽きていたところに、幼なじみにアメリカに遊びにこないかと誘われたのだ。それでアメリカに行ってみたら即例のビル崩壊が起き、それ以降の俺の生活や考え方に大きく影響を与えた(後述)。
アメリカに来いよと行ってくれたのは、当時語学留学をしていた3才から知っているヤツだ。実家が宝石屋のそいつは、将来家業を継いだ際に各地での宝石買い付けに必要な英語を覚えるために、語学留学という名目で現地に家を借りていた。最初はマジで何の目的も予定も無く現地に向かったのだけど、行ってみたら思いがけない出会いとか、映画みたいな都市崩壊とかがあったので、「とりあえず目的も無くどこかへ行ってみるってのはアリだなー。きっかけは何でもいいし」みたいな回路が脳に組み込まれ、その後各地をふらふらするきっかけとなった。
宝石屋の友人以外にも、ダンスをやってる友人のイベントに寝間着同然のゴミみたいな格好で行き、おしゃれなダンサー連中に変な目で見られたりするし、不動産屋とかエンタメ業界とか、何か特定の業界の人が集まる飲み会に行ったりして部外者ですと言って怪しまれたりしている。ダンスにも不動産投資にも全然興味はないけれど、行ってみたら結構発見があったりするので、そのような不審者を見る目を気にせず参加してみてる。
旅行をしていても観光地にあまり行かないので、移動回数の割にはほとんど写真を撮っていない。一回の旅行で10枚とればいい方で、たまに何枚かwebに写真をアップロードしていると、「珍しく楽しそうに旅行してるな」と突っ込みが入ったりする。友人の中には写真関係のアプリを作ったりしているヤツもいるから「テストユーザーとして使うよー」みたいなことを言ったりもするけれど、写真が好きな人の数百分の一とか、数千分の一くらいしか撮影しないので、写真を撮りまくる人たちのモチベーションがうらやましかったりする。観光地に行っても現地の川に浮いてた藻と食ったピザの写真とかとってないということが、2012年中には何度もあり、イビサ、ヴェネツィアなどでピザと藻の写真以外を撮ったのはそれぞれやっぱり10枚以下であった。
藻とピザ
自分で写真をとっても、写真を撮ること自体とか撮影対象にほぼ興味が無い場合が多いので、撮った画像をあとで見てもまるで魅力が感じられない。反面、写真好きでカメラにカネかけてるような人の写真を見ると、自分で撮るやる気の無い写真とは全く違う美しい景色が見えたりし、俺の撮った写真なんかには無いアーティスティックな何かが宿ってるので、他人の撮った写真を見るのは楽しい。
自分からあまり観光地に行かないから写真を撮らないというのもあるのだけど、じゃあなんで移動しまくってたかというと、移動すること自体が気分転換になったり、東京を散歩するのに飽きているから別の場所なら歩きたいなというのがあったり、あとは各地の人の生活とか過ごし方とか、現地の現在を脳内で分解して自分なりに把握するのが目的と言えば目的で、けど他人から見たらやってることは毎日8時間各地で散歩して適当なカフェでパソコン開いているだけといった感じ。
NYCでも美術館とか入ったこと無いし、名古屋にはのべ数ヶ月滞在しているけど名古屋城にもいったことが無い。だけど、大阪城には大阪の宝石商につれられて足を運んだ。そんな風に、各地で宝石屋をやっている友人を訪ねたりしなければ、これまでやっていたような意味不明な旅程で動いたりしなかったと思うし、無駄に彼らに会いに行くことにより、思いがけない景色を見ることができたし自分の視界が広がったと思う。
ふらふらし始めたきっかけが、宝石屋の友人にアメリカに来いよと言われたことだったように、観光地が嫌いなことに関しても明確なきっかけがあって、それは子供の頃京都に連れて行かれたことだ。
確か小学生の頃、ゴールデンウィークか夏休みにつれてかれたのだけど、渋滞でうんざりするし、現地の神社仏閣にはまるで興味はないしでマジで帰りたかったのだけど、そのことにより、「みんなが行くような観光地に連休に行ったりしても、混んだりしてるだけでまるで得るものがねーな」と子供心に思い、それ以後観光地を避けて、適当な理由を付けて各地を単にふらふらするようになった。
中学生になると、人生初の一人旅を体験した。きっかけがなんだったかはイマイチ思えてないのだけど(多分うしおととらかジョジョ)、目的地は仙台だった。
仙台に行っても、観光地には寄らず(そもそも仙台にどんな観光地があるかを知らなかった)、何となく名前を知っていたからという理由で松島にはいったものの、松島の観光の肝である島へ行ったり遊覧船に乗ったりはせず、ただ観光ルートではない道を何となく歩いていただけだった覚えがある。また、仙台市内に関してもまるで行くべき場所を知らなかったので、何となく歩いて、行き当たりばったりにビジネスホテルに泊まった記憶がある。要するに、旅をする際のフローは中学生から代わっていないということだ。

最初に体験した一人旅の目的地ということで、何となく思い入れがあるため、それ以降も何度も仙台に足を運んでいる。で、行ってもマジで何の目的も無いから街をふらふらしていただけなのだけど、去年、今年とそれぞれ行ってみて、それぞれ毎度の目的の無い旅だけと結構得るものがあった。
仙台まとめ:
-なんでもあるし、都市部もコンパクトにまとまっている
-自宅仕事で住む分には各地への接続性もあるし、東京へも一時間
-けどほかの同規模の都市と比べて空港のサイズと路線が不満
-自然が豊富だし郊外だと広い住居も可能
-中心部は徒歩で移動可能だし一人暮らしが捗る
-東京にあるチェーン店はほぼ市内にあるから変わ
らぬが生活できる
-でも地元民になるなら自家用車必須
-高台に大学があって海沿いにも観光地があるしでバルセロナの構成と近いなあ
仙台に行ってから仕事を探そうとすると単に給与レベルが下がるだけだけど、自宅作業可能なものや余生を過ごす感じなら悪くないと思えた。復興バブルで繁華街はにぎわっていたけど、街全体がもっと発展して福岡に次ぐ規模になって欲しいが、誰かうまいことやってくれないだろうか。

子供の頃連休に京都に行ったことにより、渋滞でうんざりし、興味の無い観光地に行くことを避けるようになった。その後はじめての一人旅で仙台に行ってみたことで、まったく逆のやりかたでの旅行、つまり、行き当たりばったりに何かのきっかけで知らない街をふらふらすることに味をしめ、それ以来ずっと同じような方法で旅に臨んでいる。
今これを書いているのも、今朝まで何の予定も予約もしていなかったのに、ヒマだから銀座を散歩してたら「東京駅まで歩くかー」という気分になり、東京駅についたら目の前に成田行きのバスが停まり、それに乗り、乗ってから適当に航空券を検索して「あー最近バルセロナに着いて軽くまとめたし今から行くか」とバス乗車中に携帯電話から出国三時間前にチケット購入、出国してヒマだから「あー仙台について書くか」といって書き始めているのだ。
子供の頃のそんなきっかけで出来上がった旅行のフローは、成長に伴い変質せずにむしろ強化されており、繰り返し行えばノウハウはたまるし上手に活用できるようになったので、20年後くらいには何となく朝起きたときの気分で月面とかで散歩しているはずだ。
仙台はその後何度も再訪してるいけど、昨年、松島周遊観光遊覧船にはじめて乗ってみた。これまでは、行っても海岸沿いを散歩したらり、隣の駅まで意味不明に歩いたりしてるだけだった。
日の出を少しすぎた頃に現地につき、何かぼーっとしてた。で、帰りも歩いて仙台駅付近まで戻ったのだけど。。。。
観光地を回らずなんでそんなに各地を散歩しているの?みたいなことをよく聞かれる。「えーと主に散歩して疲れたら喫茶店でパソコン開いてますね」とか、「んー空気を吸ってるんですよね。。。」みたいな回答をして変な顔をされたりしている。子供の頃に観光嫌いになり、その後散歩してふらついて空気を吸うのが好きになった。なんで?って聞かれると俺にもよくわからないし、「ヒマだからですかねえ」みたいなことを答えたりしている。
で、最近結論が出たのだけど、おそらく、俺は待っていたのだ。何かを。
エンジニアや研究者、経営者とか、そういった頭を使う職業の人たちと話すようになり、散歩の重要性をみんな共通認識として持っていることを知った。いろいろ考えて煮詰まったとき、散歩するとポンとアイデアがでてくることはよくある。とある発明家は水泳の最中に色々と思いつくから泳ぐことにしているそうだ。音楽家とかデザイナー、クリエイティブな職業の人たちもよく移動したりしているけど、移動することによって、頭の中が整理されたり、整理された結果、作品のアイデアを思いつくことが、非常によくあるとたくさんのひとから聞く。水泳をするプログラマが賞を受賞したり、マラソン好きのサラリーマンがいい企画作ったりとか、そういうのも。
彼らも俺と同じで、何かを待っているんだと思う。斬新なアイデアを思いつくには有酸素運動が必要で、単にフィジカルに、血流が流れて酸素が行き渡った結果、脳がいい感じに機能しているのかもしれないし、運動=肉体のコントロールに脳内のリソースを使った結果、思考に使う回路を休ませることができて、またそれを使う時には調子がよくなるからなのかもしれない。脳科学が発展したりしないと結論は出ないけど、統計的に優位な数のサンプルが、その辺にごろごろ転がっている。散歩や運動をしながら。
で、歩いているといろいろ思いつく。机にかじりついているだけで成果を出したヤツをみたことが無いし、移動して、移動中のスキマ時間に何か考えたり、運動や散歩をして血流を回転させたり。俺がふらふらしていたのは、そんなことをしながら自分の頭の中から何かが出てくるのを待っていたんじゃないかと思う。
仙台では、闇に遭遇した。

写真は仙台の、青葉城付近にある、多分飲食店的な何かだと思うのだけど、「闇」という文字がすごいインパクトだったので、普段写真を撮らない俺にしては珍しく、カメラアプリを起動して保存した。
仙台で見つけた闇は上記の闇を売る飲食店だけじゃなくて、はじめて仙台に来たときの中学生の頃の自分の心情を思い出したり、あとは、モバイルアプリ業界に友人知人や因縁のある相手が多数いるのであまり近寄らないようにしていたのだけど、何か変な繋がりがあり縁を感じていた相手が仙台でアプリ開発者のオフ会を開いていたので参加してみた。
参加してもまあ、普通に飲んで参加者に意味不明なことを言っていただけだったのだけど(Soichaの開発者に「ドアラのうざいイヤフォンジャックカバーつけても快適に操作できるようにしてください!」とかいったり)、北海道のモバイルアプリOFF会で俺を知る人に会ったと言われて「あ、多分俺最後にそいつにあった時、居間で全裸でパソコン開いてましたよ。。。」と言う過去の意味不明な暗部を思い出したり、なんというかやっぱりモバイルアプリ方面は鬼門だなと思った。
大晦日も、友人数名とRuckygames(群馬アプリの開発者)がそば食いながら飲んでいるということだったので、いこうかちょっと迷ったけど、またそういう知り合いが多そうな場所に行くと、俺の闇の部分が過去から突然浮上してきて死ぬと思ったので、何となく家で寝て起きたら正月。で意味も無く成田に向かって今機内でインターネット。
で、これからバルセロナに行ったり、ヨーロッパ各都市を意味も無く散歩すると思うのだけど、なぜそれをしているかというと、前述の「何かを思いつくのを待つため」という以外に、「東京の次に住む都市を探すため」というのがある。

todolistにも上のようなことが書いてあるのだけど、10年東京に住んで飽きているので、刺激的な街に引っ越したいと思っている。それでシンガポールにも数十回行ったし、これからバルセロナに三回目の滞在をしに行くし、仙台を定期的に訪れて散歩したりしてみている。
住みたい都市の条件の一つとしては、「いい感じに空港に近い都市」というのが挙げられる。
なぜかというと、東京は空港に行くのが不便すぎて、成田に近い千葉県内に住んでみたり、羽田まで行きやすい物件に住んでみたりしたくらいだからだ。シンガポールは空港まで30分でラクだけど暑くて駄目だった。バルセロナは気候は最高なんだけど空港がそこまで便利じゃない。仙台は震災の影響で空港が閉鎖されていて、復旧させるついでにガッツリ拡張したり設備投資したりしないかなーって注目していたけどそんなことは無かった。昨年行ったとき、街頭で仙台空港復活イベントの写真展とかやっていたので見に行ったのだけど。。。
そんなナイス空港を備えたいい感じの都市を探すためふらふらしており、福岡にも昨年5回ほど行った。
福岡空港は福岡中心部から10分で空港という感じに交通の便が素晴らしく、東京でいったら新宿から見て四谷くらいに空港があるイメージの距離感だ。日本国内で税収とか少子化への解決策として、シンガポールや香港のような経済特区ができないかなーたぶんできないだろうなーと思いつつ、昨年時間をかけて九州の各県庁所在地を回りながら自分のtodolistにのっていたスポットを訪れていた。

仙台に何度も足を運んでいたのも、仙台という街のポテンシャルを気に入っていたため、何かのきっかけで国内第3か第4くらいの都市に化けてくれないかなあという想いがあったためだ。
次は九州について。